2012年5月20日日曜日

5万4千円でアジアを横断できる!?

『5万4千円でアジア大横断』 下川 裕治



私が、アジアを横断したきかっけ、それがこれ!
いつか、世界一周したいなと思っていたけれど、お金がまだまだ足りないな・・・
と思っていた時この本を見つけた。
5万4千円なら私でも十分行けるではないか!!
しかし、どうゆうルートで、移動手段で、どのくらい過酷なのか読んで見なければ分からない。
早速拝見・・・フムフム。

福岡から韓国は釜山にフェリーで渡り、そこからアジアを渡り、アジア最果てイスタンブールまで。
気になる移動手段はもちろん、一番安いバス!アジアンハイウェイを東から西へ。
そして、ほぼバスで移動し続ける。余計な観光などは無しでひたすら、イスタンブールを目指すのべ27日間車中15泊の激安珍道中!

これはたぶん約10年前の2005年の旅の記録。
値段もいろいろ変わっているし、今は入るのが難しい国もある。(パキスタン、イラン)

そして私はせっかく行くのだから観光もしたいし、遊びたいし、美味しいもの食べたいし、そして近くまで来たのだからお隣の国にも行ってみよう!な~んてやっていたら、0が一つ増えてしまった・・・
同じ博多スタート、イスタンブールゴール、でも期間は3ヶ月。飛行機も電車も使ったし、期間も3倍だし。でも、それでも3ヶ月フラフラ好きなことして50万なら安いじゃない!

旅は、安く行こうと思えば安くいけるし、お金を使って行こうと思えばいくらでもゴージャスな旅が出来る。それは自分次第!!

さあ、みんな自分流の旅に出よう☆

ぜひ参考にこの本を。役立ちます。


きょん

2012年5月19日土曜日

シンガポール

サウジに続き、シンガポールを紹介。
日本も絡んでるから、一応どんな国か紹介させて頂きます。

下記引用>>

シンガポールは別名「ガーデンシティ」と呼ばれるとおり、緑豊かで色とりどりの花が街中に咲いている清潔で近代的な国です。約430万の人口のうち4分の3以上が華人で、マレー系やインド系も混じる複合多民族国家でもあります。こうした民族固有の文化に加え、旧宗主国のイギリス文化も交じり合い、この国独特の文化を形成しています。日本の淡路島ほどの小さな国ですが、ショッピングやグルメ、観光スポットがとても充実しているモダンで洒落た国です。 それでは、シンガポールをご案内致します。

シンガポールは、14世紀頃にはスマトラ島のシュリーヴィジャヤ王国の勢力下にあり、トゥマシクと言う名の港町でした。シュリヴィジャヤ王国が凋落した後には、ジャワのマジャパヒト王国の影響下に置かれ、15世紀にシンガプーラ(ライオンの村)という現在の名前の基となった町名に改められました。16世紀には、マレー半島最南端のジョホールのスルタンが支配下に治めていましたが、交通の要衝としての港に目をつけたイギリスのトーマス・ラッフルズが、19世紀始めに本格的な港を建設しました。
(↑ラッフルズホテルのシンガポールスリングはここからです)
そのすぐ後には周辺のマラッカやペナンと共に植民地としてイギリスの支配下になり、それ以後、東南アジアの貿易の要衝港として、またイギリスの東南アジアにおける植民地支配の拠点としても大発展してきたのです。1941年、太平洋戦争が始まると、シンガポールの地理的要因から東南アジア侵攻拠点として位置づけた日本軍は、イギリス軍を破りシンガポールを軍政下におきます。そのときから戦争が終わるまでは、シンガポールは「昭南島」と名付けられ、「昭南特別市」という行政区域となって日本軍人が初代市長になったのです。
1945年に戦争が終わり、日本の敗戦でイギリスの支配下に戻りますが、マラヤ連邦が独立した後に、1963年にマレーシアの一地域として編入されました。ところが、当時のマレーシアはマレー人優遇政策であったため、住民の大半が華人のシンガポールではその政策は受け入れがたく、1965年に連邦から追い出されるようにして分離、独立を果たしたのです。初代首相に就任したリー・クアンユーは、独裁的な体制で通商都市国家の建設を目指し、国際的なハブ空港の建設、関税廃止、などで通商体制を飛躍的に発展させ、続いて教育レベルの向上や、マナーやモラルの強制的な政策を敷いて、国際的にも先端的なクリーン国家が誕生したのです。

シンガポールは、イギリスの植民地から日本の統治下を経た後にマレーシアに併合され、近年になって独立した都市国家です。そのため多民族の多様な文化を持つ国家で、民族間を越えて国家統一のため様々な独自の法律があります。国家発展のため男女を問わず労働に従事していたことから、外食文化がとても発達した国でもあります。また、赤道直下にあるため一年中が夏の気候で、気温も平均27度ある南国ですがスコールの後には涼しくなります

ちなみにシンガポールの国家はマレー語になります。

以上

LOVE & SMILE = PEACE
Tinta

2012年5月18日金曜日

Printerest





40億円....
日本の「楽天」が「Ponetrest」に約5000万ドル(約40億円)にも上る額の出資を行ったそうです。
「Pinerest」はSXSW2012インタラクティブ・アウォードを獲得したSNSサービスであり、かつてTwitterFoursquareもこの賞を受賞し、大きな飛躍を遂げました。評価額が15億ドル(約1200億円)にも及ぶと言われているこのSNSサービスに、日本の楽天が約5000万ドル(約40億円)にも上る額の出資を行ったそうです。
今回の出資により、楽天はPinterestの日本国内進出を支援・協力するとともに、将来的に楽天市場との連携を狙っているとか。
ちなみに楽天のプレスリリースはこちらからどうぞ。
「Pinerest」のおもな特徴としては、
画像やテキストの引用・共有ができるサービス「Tumblr」とよく比較されます。しかし、集めた画像をカテゴリ分類できる点、そのために必要な画像が探しやすくなっている点が、Tumblrとは大きく違います
Tumblrがすべての切り抜きを貼ったスクラップブック一冊とすれば、Pinterestはジャンルごとのスクラップブック数冊をまとめたバインダー。だからこそ、集めた画像を必要な時にもすぐ探し出すことが可能なのです。。。だそうです
ぼくも早速アカウントとっていじり込んでみようかな!!
たぶんすぐあきそうだけど...
8810

2012年5月16日水曜日

ラオス小学校建設後調査

こんにちは
以前一度記事を書かせて頂いた、東南アジアにあるラオスという国に、教育支援をしている学生国際協力団体CHISE(チーズ)です。
CHISEは、2009年夏に発足し、ラオスの北にある村に小学校を建設するために、建設費150万円を募る活動を展開してきました。
そして発足から1年半後の2011年2月、小学校が無事に完成いたしました。







この間の、3月16日から18日の3日間にかけて、完成した小学校を訪れ、学校建設後の村や子ども達の様子の調査をしてきました
今日はその事について記事を書きます


学校が建設されただけでは、その地域の教育事情は改善されません
村人達だけで学校を運営できるようになるために、これからどんな継続支援を行っていくべきか。という事を考慮するために、村人にききとりをしました。







調査で特に明らかにしたかったのは、以下の3点
①大人達の現在の教育への考え
②小学校の普段の様子やシステム
③先生の、仕事に対する意欲がどの位あるのか


以下がその調査の結果です。

①大人達の現在の教育への考え

お話を伺ったのは村長です。
(ちなみに村長は昔から村に住んでいる人間である事、人望がある事などの条件を考慮し、国の役人が指名する)

村長によると、大人達は子どもの頃全員小学校に通っていたが、田舎だから昔は“勉強より仕事をするべきだ”という考えが主流だったために、中退した人もいたそうです。
※仕事というのは村で行っている農業のこと(ヤギ・牛・鶏・豚の育成、米・ゴマ・とうもろこし・里芋などの栽培)


しかし自分達が大人になり、勉強ができない事で仕事(村での農業以外の、町での仕事を指す)がないという状況に。
そして、同じ思いを子どもにさせたくないから通わせているそうです。

もちろん、子どもは学校に通ったら家の仕事の手伝いができないけれど、
将来仕事に就くために学校に行かせていて、
特に高校まで出たら政府の仕事につけるから高校まで行ってほしいと話していました。

でも、公の仕事でなくてもたとえば建築家など
自分の進みたい道に進んで欲しいからそのために勉強してほしく、
将来仕事に就く事で村に帰ってこないとしてもいい。
自分の子どもが将来幸せだったらそれでいい。
と話してくれ、意外と自由な考え方に驚きました。











②小学校の普段の様子やシステム

この村には、少し離れた村にある小学校に通う事ができない、小さい1・2年生のための小学校が元々ありました。
その小学校が本校で、村の小学校はその分校という形で存在していました。
しかし、3年生から、離れた小学校までわざわざ通わず、中退してしまう子どもも多くいました。


新しい小学校ができてから、村の小学校だけで1年生から最終学年である5年生まで教える事ができるようになりました。
今、村の小学校に通うのは、全員で68人(1・2年生27人、3・4年生31人、5年生10人)です。
それぞれ年齢は、1年生が6~7歳、2年生が7~10歳、3年生は10~11歳、4年生は11~12歳です。


授業科目は、算数・ラオ語・歌・絵・おりもの・道徳、英語(3年生から)であり、1日に3コマ(朝2つ/午後1つ)行われ、 1コマ2時間です。
毎日何を教えるかは国が年単位で決めています。

授業の間には10分の休み時間も設けられています。
ラオスでは、午前の授業が終わったら一度自分の家に帰り、昼食をとってから再登校というスタイルなので、お昼休みは1~2時間あります。

ラオスの進級テストは1月と5月の2回あり、1月はおちても大丈夫だが、5月におちると留年となります。
村で1月にテストに落ちた子は1・2年で5人、3・4年で3人いたそうなので、5月のテストは頑張ってほしいです!
卒業は5月で、今年は今の5年生10人(女2男8)が卒業し、全員中学校に進学するそうです。
中学校は村から13km離れていて、自転車で通うことになります。
高校は寮(100万キープ/年)に住み、通学します。今は6人村から行っています。



教科書は、政府から与えられたものを使用しています。
しかし、ひとつの小学校でもらえる教科書の数が決まっていて、それ以上にもらうことができないので、足りなくなった場合、何人かで一緒に使うことになります。
また、年が変わっても新しい物をもらえるわけではないので、新3年生は新4年生が3年生の時に使っていた物を使いまわす事になります。
つまり、教科書は手元には残りません。

それに対し文房具は政府から無料でもらえるので、足りなくなったら先生がルアンパバーンという、村から車で片道2時間の大きな観光都市までもらいに行っています。


ラオスの公立小学校の授業料は無料ですが、学校の運営費や光熱費などを生徒達は払わなければいけません。(先生への給料は国からでています)
フォエイカン村の小学校も同様で、その費用は1人年間7万5000キープ(5月16日時点で1キープ0.01円)です。ちなみに村の1家族の1ヶ月の電気代が2~5万キープです。


学費は村長に払い、小学校で何かを用意するためにお金が必要な時は、先生達が村長に申請します。
学費が払えてない子は5、6人いるようですが、村長がなんとかやりくりしているようで、特に問題はなく支援もいらないとのことでした。






③先生の、仕事に対する意欲がどの位あるのか

よく途上国の小学校支援でいわれる先生の問題に、授業の質の低さと仕事に対する意欲の低さの2つが挙げられます。
前者は、小学校卒業という学歴の先生もいる事。
そして後者は特に田舎に赴任された先生が暮らしの不便さや給料の低さなどの不満から真面目に仕事をこなさないという問題です。


村の小学校には先生が3人います。
全員大学まで進学していて、教員試験に合格した先生達です。
本人達の希望で異動もあるようで、3人のうち1人の女性の先生は、9月に旦那さんの地元へ戻りそこで働くそうで、また別の先生が村にやってくることになるそうです。


授業の質の向上のためにも、村の先生3人が勉強を教えるにあたって何か難しさや障害を感じているのであれば、それらを取り除くような支援の方向性を模索しようとCHISEで考えていたので、現在の教え方や授業の様子を聞いてきました。


村の小学校では、週に1度テストを全教科行い、更に月の平均を出して優秀な子を発表していました。
その結果は、個人個人の成績ノートに記されるだけではなく、模造紙にも書かれ教室にはられていました。

教室にはそのほかにも、“努力は必ずむくわれる”などのスローガンや、子ども達が授業で描いた絵もはられていました。


また校庭には、新たに花壇ができていましたがこれは国からの指示ではなく、先生達が自ら、農業を営む事になる子ども達に植物の育て方や自然を大切にするという考えを養うために考案してやり始めたとのことでした。
他の学校の先生達とより良い教え方について話をしたりすることもあるそうです。
先生をしていて1番嬉しかった事は、子どもに一生懸命教えて、それが伝わった時だそうです。村については、もち米とか、ご飯とか先生の生活で足りない物をくれるからここへ来て良かったと考えていると言っていました。


これらの調査結果をもとにこれからの継続支援の方向性を決めていくのですが、思っていたよりも村の人や先生の教育に対する意欲が高く、村人だけで運営できるようになる日も遠くないように思いました。


村人だけで運営が可能にもかかわらず、支援を続けてしまうと支援過剰を引き起こし、自立性が失われてしまう事もあり得ます。
また他の村からすると、どうしてあの村ばかり…と嫉妬をかってしまい、思わぬいざこざを招いてしまう事にもつながりかねません。
実際に、村長が隣の村の友達に、この村は小さいのに新しい学校があって羨ましいと言われた(その村は大きいけど学校はなく、子ども達は近くの村の学校に通っている)とのことでした。


今回の調査で村の小学校にはもうほとんど継続支援は必要ではないと判断しました。
しかし、教科書や本が手元に残らないのは、せっかく学校に通い読み書きができるようになって、色んな知識を吸収できるようになったのにもったいないと感じたので、今度の夏には、村人に材料を用意してもらい本棚を作り、そこに置く本を贈ろうと考えています。