2011年5月22日日曜日

妻への想いを胸に (南相馬でのボランティアで)

今回は原発から20~25キロくらいの場所にある南相馬市に行ってきました。
(ボランティア活動中の写真撮影などはできないので、現場の写真はありません)

金曜夜出て、朝市で福島県川俣町に住む親戚のおばさんと合流。 そこから南相馬市のボランティアセンターへ。

車を出してくれた友達のせーちゃん。こんなにキレイな新緑の広がる場所もすでに見えない危険(放射能)が広がっている。途中で野生のサルの軍団などにも遭遇した。 (ずっと寝てて本当にごめんなさい…)

九時にボランティアセンターが開き、そこから集まったボランティアの方々が振り分けられて、それぞれ活動場所に向かうとゆう感じでした。


とりあえず、そこの気になるTシャツの文字はスルーして、かなり被災地ボランティアに行くことを熱望してた友達のテル。顔も気合に満ちてます。

ここですごく驚いたし、ショックだったのが、多分80人くらいのボランティアの方々が並んでましたが、若い人がぜんぜんいませんでした。
偶然この日がそーゆう日だったのかもしれないけど、それにしてもショックでした。 きっと8割は自分達より年上の方々だと思います。

自分達の活動場所は原発から20キロの南相馬市原町区。 活動内容は畑の瓦礫撤去と、畑に水が流すための、水路作りでした。

かなりの力仕事ですが、筋トレになるじゃん!ダイエットになるじゃん! そして復興に役立ってんじゃん!って気持ちが重なり、とても気合入れて活動することができました。
テルとせーちゃんの気合の入り方も勇ましかったっす。

活動しながらずっと思ってたことがあります。それは、
津波による塩害でダメになった畑は20年~30年は使えないって言われてるのに、なんで畑作りすんだろう?ってゆう疑問でした。

途中で、この畑の主である八津尾さん(61歳)の話しを聞いて、その意味が分かりました。

八津尾さん(河北新聞より)

八津尾さんは津波によって、家や畑、そして30年以上一緒に連れそった奥さんも失いました。二台の車で津波から必死に逃げましたが、八津尾さんの後ろを走っていた奥さんは間に合わず流されてしまったそうです。 

そんな話しを聞いてる中で、少し涙を隠しながら、笑って言いました。

「ずっと百姓やってきれるし、研究したりすんのも好きだ。だから塩害に勝てるような方法をこれから研究すんだ」

「非難なんかしてる場合じゃない、仲間に言ってもシラーって見られるだけなんだけども、俺はやりたいんだ」

涙もろい自分は、一生懸命涙をこらえながら、その話しを聞いてました。きっと奥さんへの無念の気持ちも重なって、こんな強い気持ちになれたんだろうなと思います。

自分は涙をこらえながら、八津尾さんと堅い握手をしました。
そのガサガサでごっつくて、やたら握力の強い手から、すごく強い魂みたいなもの感じました。

八津尾さんはすでに新聞などのメディアから、数々の取材を受けています。最初に取材されたときの記事を添付します。是非チェックしてみてください。


やはり行くことで感じることは大きいです。これによって、日々の生活の中での被災地支援ももっとやらなくちゃ!って思いました。 また絶対に行こうと思います。

そして、ボランティアの数はゴールデンウィーク以降は減っていく一方です。だけど復興には「細く長い援助」が必要です
少しでも「行こうかな」って思ってる方は、是非一度でも行ってほしいと思いました。物資の整理や、アルバムなどの洗浄など、女性でもできることもたくさんあります。

気合入れすぎて朝からTシャツだったために作業用の長袖を借りました。
左からせーちゃん、自分、てる

休憩中。帽子はボランティアセンターでくれました。


今回は叔父さんの家に泊まることなどもあり3人で行きましたが、また行くと思うので、「一緒に行こうよ!」って人は連絡くださいな~。

オフショットはこちらから
一緒に行ったプレシャスアースのメンバーでファッションカメラマンのテルのブログもチェック


たくや














2011年5月20日金曜日

最近何かと話題の...

新宿にUFO出現!?で騒がれたかと思ったら、世界各地で大地震の予知騒動で
町中わたわた、、、明日21日もニューヨークの方で宗教家の人が世界各地で
大地震が起こると唱え信者を引き連れ避難しているみたいです。
大地震も心配ですが、何も起きなかった時に、この人は何と言い訳するのかが心配。


去年あたりから、マヤ暦による2012年人類滅亡に継ぎ色々と話題になっていましたが
基本的にこういうのは、21世紀初頭のオカルト雑誌や予言関連の書籍(ノストラダムス
なんてのも当時散々騒がれましたね)からのはしりでだいたい10年周期で新たなネタ
をひっぱってやってくるみたいです。
それこそまさに『人類滅亡説ビジネス』


でも、今回の2012年説は意外と嫌いじゃないです。
今回はマヤ暦だけにとどまらず、聖書やクルアーン、ミドラーシュ
易経などにも関連づかれていることや、フォトンベルトや天体問題にも焦点が
当てられてる点はうれしい。
いままで定番だった人類滅亡へのカウントダウンというより、2012年を
皮切りに人類はワンランク上のステップへ進化する。う〜ん...これにはな
んともロマンがある。
基本的にこの手の話は、話半分で聞いて全てを信じる気ではいないけど、
その中でも唯一宇宙人ネタはまだ現実味があるかな?という事でついつ
い深い所までいってしまう。この広い宇宙...いないという事も考えにく
いし存在する事を信じ、出来る事なら生きているうちに一目みてみたいものです。
そんな彼らも我々の想像を遥かに凌駕するシリウス、リラ、プレアデス、ゼータレチクル、ペルセウス、ドラコニアン、グレイ、太陽人、ティサニアン、マーティアン、クラリオン、レプテリアンなど友好的なものから攻撃的な種族まで様々いるそうです。


っま、そんな夢のような話から少し身近なロマンの話。
『我々住むの3次元宇宙は5次元に囲まれている!?リサ・ランドール教授』
※あくまで理論なので確かなものではないので注意。でもこれらがもしか
するとひも理論を解く鍵になるかもしれないと思うと...ワクワクします。






8810


2011年5月19日木曜日

臓器売買のマーケット

先日、メンバーのきょんちゃんがアップしてくれた「闇の子供達」(書評)の記事

臓器売買の闇のマーケットが実際にあるのは知っていたけど、実際の現状まで調べてはいませんでした。

twitterから臓器売買の記事を見つけたのでコピペします。
(以下bloombergの記事より)



5月12日(ブルームバーグ):ルイス・ピカドさんの母親は、息子が宝くじに当たったと思い込んでしまったあの日のことを思い出す。ニカラグア西部、マナグアのスラム街にあるトタン屋根と軽量コンクリートでできた自宅に帰って来た息子は、貧しさから抜け出し米国で新たな生活をスタートする方法を見つけたと意気込んでいた。
ある米国人がピカドさんに、腎臓を片方くれるなら、ニューヨークでの仕事とアパートを提供すると約束したという。当時23歳だったピカドさんは高校を中退し建設現場で働いていた。母親によると、彼はその話に飛び付いた。
3週間後の2009年5月、ピカドさんはマナグアの陸軍病院で手術を受けた。医療記録によると、医師らが腎臓を摘出する際に動脈を切断し、内出血した。母親のエリザベス・テルセロさんは病院の術後室で息子のベッドのそばにひざまずき祈ったと、ブルームバーグ・マーケッツ誌6月号は伝えている。

テルセロさん(49)は「息子に心配しないで、私が看病するからと語りかけた。でも遅過ぎた」と振り返る。検視官の報告書によると、医師らは救命を試みたがピカドさんは出血多量で死亡した。母親は「息子はいつもアメリカンドリームを追い求めていた。そして、とうとうそのせいで命を落としてしまった」と肩を落とす。
米国人のマシュー・ライアン氏も同じ運命をたどった。ニューヨークのバス会社の管理職を退職し当時68歳だった同氏は、ピカドさんの腎臓の移植手術を受けた2カ月後、同じ病院で死亡した。
ニカラグアの検視報告書によると、2人の死因は移植。マナグアの検察当局は、金銭を支払って臓器提供を受けることを禁止する同国の法律に違反した者がいないか捜査している。
違法なマーケット
この2人は、世界各地で拡大を続ける違法な臓器売買のマーケットに足を踏み入れてしまった。ハーバード大学医学部教授で外科医のフランシス・デルモニコ氏によると、毎年、米国やイスラエル、サウジアラビアなどの重症患者約5000人がドナーから臓器を購入している。同氏によると、臓器売買はイラン以外の全ての国々で違法となっている。
裕福で切迫した状況にある場合が多い患者たちは、臓器を売る貧困層がいるエジプトやペルー、フィリピンなどの国々に向かう。中南米では通常、移植は無認可のブローカーが仲介し、免許を持つ外科医が執刀する。これらの医師たちの中には、世界有数の大学の医学部で訓練を受けた者もいる。
世界の臓器需要は供給を大幅に上回っている。米国の移植待機リストに掲載された患者が11万693人に上るのに対し、ドナーは年間1万5000人に満たない。
デルモニコ氏によると、海外で違法な移植を受けた米国人は、健康状態の悪いドナーからの感染でエイズウイルス(HIV)感染症などにかかり、帰国後、公衆衛生を脅かすケースもある。


たくや

2011年5月16日月曜日

design festaを終えて

自分のブログの方でも書いてたのですが、去年の5月から11月後半まで青年海外協力隊でキリバス共和国での活動をまとめた写真をデザインフェスタに出展しました。 
色々と本当に準備が大変でしたが、友達などの協力でとても収穫の多い経験を得ることができました。(弱カタイ話しになるので、デザインフェスタの写真散りばめていきまーす)

オープンして15分後くらいの人の行列、さすが日本人


世界情勢や、経済などの社会的問題に目をむけるようなり、昔から考えていたボランティア活動を経て、色々勉強する中で、深く思ったことがひとつあります。

それは「知ること」です。これがプレシャスアースを作るきっかけになりました。


最初はネガティブな絵にしようと思った


色んな問題がこの世の中にはあります。
例えば、自分の活動していたキリバス共和国はあと50年後には沈むと言われています。地球温暖化の海面上昇によって島が沈んでしまうと言われています。温暖化についても色々調べましたが、本当に人間の経済活動によって温暖化が進んでいるのか、実際は分かりません。懐疑説もたくさん出ています。

でもやめた、キリバス人はいつだって笑顔だったから


でも自分はキリバスを知ったことにより、温暖化を調べました。
温暖化を調べたことにより、地球のメカニズムの知識が(少し)つきました。
温暖化を知ることにより、世界の政策を知りました。
温暖化を知ることにより、世界の経済活動の混迷ぶりを知りました。
キリバスを知ることにより、第二次大戦を勉強しなおしました。 キリバスを知ったことにより、他の同じような途上国の現状も気になるようになりました。
 キリバスに行き、生活のための雨水の重要さを知りました。 キリバスで四回も倒れることにより、先進国の人々の免疫の弱さを知りました。
キリバスに住むことで電気のありがたみを知りました。


「知る」ということは「0ゼロ」を「1イチ」にすることです。ゼロは一生ゼロです。1は無限です。

そしてキリバスは無名な国です、そして沈みます。 キリバス人にとって、自分の国が沈むことが温暖化か否かなんてどーでもいいんです。でも将来住む家が無くなるでしょう。自分が写真を撮った子供達はそう遠くはない未来、どこで住むんでしょう?。 そしてどこかの国が受け入れたとしても、キリバス人とゆう国民は消えるの? キリバスとゆう国は消えるのか?

自分にもきっとなんにもできないと思います。



でももしその経験から何か得るものがあるとするならば、それを一人でも多くの人が知って、知識の一部としてもらうことだと思います。そして色々な知識の積み重ねが広い視野を持たせ、平和ボケして「知ろう」とするマインドがなくなりつつある日本人を再び色々な思考を働かせるようになると思います。

本番はこんな感じ

その知識の積み重ねが経済活動に向かっても、社会活動で向かってもかまいません。それは個人の自由で、それ以降に出てくる問題などは、価値観の違いになってくるので、どーこー言える問題でもないだろうし。

今回の出展は、その「知識共有の場」であるPRECIOUS EARTHを宣伝するためってことと、「こんな国があるよ!」って知ってもらうため、そして自分の中での社会活動への区切りをつけたかったことです。

相変わらずデザインフェスタはファンキーでした



これから自分は、経済活動での昔からの目標のために進むことになると思います。 経済活動をするにあたって「お金」と常に向き合うことになるでしょう。自分にも未だに分からないけども、お金は人を変えるとよく言われます。自分の経済活動をしていく中で、自分の道徳心を失わないための「魂作り」はこれでひと段落となりました。 

混迷する世界の経済活動の中で、最近ではCSRという言葉をよく聞くようになりました。これはCorporate Social Responsibilityの略で「企業の社会的責任」と日本語では言われています。消費者側にも色んな社会問題の知識が増え始め、ようは金儲けだけに走ってる会社は、お客さんから選ばれなくなるので、企業は利益目的以外の慈善事業などに力を入れるようになってきたわけです。


経済活動と社会活動は「水と油」の関係です。でもこれからはこれの共存させることで、消費者に選ばれる会社が生き残っていくのだと思います。(ある本ではこれを知識主義社会と名づけていました。)

自分もそんな会社を作れることを夢見てこれから頑張っていこうと思います。
きっと行き詰ることだらけだと思います、でも前に進みたいです。 人生は一度きり、今過ごしてる時間さえも「タイム!」はありません。 どれだけ「未知」を「知」に変えれれるかは自分しだい。そしてアインシュタインも言っていた「どれだけ価値のある人間」になれるかも自分しだい。
今身の回りにある状況のほとんどは自分しだいで、きっとなんとかなる。

そー信じてこれからも頑張ろうと思います。



最後に、

自分を支えてくれる仲間、友達、先輩方、家族に本当に感謝しています。
そして新しく自分と繋がってくれた皆さん。
ほんとうにほんとうにありがとうございました、これからもよろしくお願いします。




2日目の朝、錦糸町から見たスカイツリー

がおー!でも首から下見るとかなり良い人オーラ

マリオネット的な

この絵書きさんの絵は良かった

前のデザインフェスタで見てから
好きになった「33STRIKE」さんのブース

右横に出展してたMICMARIさん

左横に出展してた学生さんアーティスト
名前チェックしてなくてすいません!

最後に、迎えに来てくれた親父と食ったとんでんの蕎麦と丼が以上うまかった
日本食ばんざい


たくや 
(注、これで終わるはずねーだろ!オフショットはこちらから)

2011年5月11日水曜日

最も稼いだモデル!!

最も稼いだモデルは、今年もあの人!

フォーブス誌が発表した、2011年モデルの報酬トップリストによると、4500万ドル(約36億円)稼いだジゼル・ブンチェンが3年連続で第1位となった。

2、3位も前回と同様に、それぞれ2000万ドル(約16億円)、1350万ドル(約11億円)稼いだハイジ・クラムとケイト・モスが続いた。

一方、若手モデルのララ・ストーンとキャンディス・スワンポールがそれぞれ450万ドル(約3億6000万円)、200万ドル(約1億6000万円)稼ぎだし、今回はじめてリスト入りを果たした。
リストは、フォーブスによる2010年6月から2011年6月までの推定報酬に基づいて作成された。
どの雑誌や広告をみてもよく目にするメンツですね。
この業界モデルのギャラが一番高いと言われているので、有名なカメラマン、メイク、ヘアー、スタイリストはこれのチョイ下ぐらいなんでしょうね。


teru

2011年5月10日火曜日

母親になるなら、どの国で??



このロゴ見れば、知ってる人もいるかと思います。
「SAVE THE CHILDREN」という国際NGO団体のロゴです。





ちょっと前にブルガリがコラボして、チャリティリングを作り、
多くの海外のトップスターが身につけメディアに登場し、話題になりました。

そのSAVE THE CHILDRENが発表している、ランキングです(AFP通信より)。

【セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン】
子ども支援の国際NGOセーブ・ザ・チルドレンは、母の日を機に母親に注目することで、子どもについて考えるきっかけを作るため、毎年「State of the World’s Mothers」を発表し、“母親になるのにベストな国ランキング” (母親指標Mother’s Index)を公表しています。第12回目となる今年は、世界164カ国を対象に母親と子どもの状態を分析しました。

【2011年母親になるのに最も適した国(母親指標*1)】
今年のトップは昨年同様ノルウェー、最下位も変わらずアフガニスタンでした。日本は、昨年の32位より28位に順位が上がり、2007年以来やっと先進国中30位以内にランクインしました。(2005年14位、2006年12位、2007年29位、2008年31位、2009年34位)

 トップ10の国  
1位 ノルウェー
2位 オーストラリア
2位 アイスランド
4位 スウェーデン
5位 デンマーク
6位 ニュージ-ランド
7位 フィンランド
8位 ベルギー
9位 オランダ
10位 フランス

今年3月11日、未曽有の大震災に見舞われ、未だに被災地では多くの人々が不自由な避難生活を余儀なくされています。
そのような状況下でも、お母さんたちは気丈に子どもを育てています。避難所で出会った小さなお子さんを持つお母さんは言います。「家も仕事もすべて失い、無収入での避難所生活、先が見えなくて本当に不安です。避難所でもらう子どもの服はいつも少し大きめのものを選んだりしています。」また、避難所での子育ての不安について尋ねると「環境です。まわりの人が子どもの気持ちを感じ取り、子どもたちが安心して遊べる場所が必要です。」それでも、子どもたちへの将来には「こうした経験をしたからこそ、人のために生きることのできる大人になってほしい。そのための教育も受けさせてあげたい」と期待を語ってくださいました。

今年、日本の母親ランキングを飛躍させた要因には、子ども指数が第2位に浮上したことが大きく寄与しています(昨年は6位)。子ども指数の中でも、日本における5歳未満の死亡率は世界で最も低く、また中等教育の進学率が高いことも注目されます。このことは日本の医療と子どもの教育環境水準が世界に誇れると同時に、今後、こうした子どもが育つ環境に加え、女性が安心して子どもを育てられる環境が日本でもさらに整っていくことが期待されます。

セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンは、被災地の避難所を中心に子どもたちが安心・安全に遊べるスペース「こどもひろば」を展開してきました。これまでの緊急支援時には、子どもたちはのびのびと同世代の子どもたちと遊ぶことで日常を取り戻し、また、大人たちは安心して生計再建の時間を作り出すことができるなど、避難所での需要が多くありました。今後、学校が再開され、避難所も縮小されていく復興支援期において、「こどもひろば」は形や場所を変えて、母子の健全な子育てを支援できるよう展開を続けていきます。

*母親指標は、女性指標と子ども指標のそれぞれのデータをもとに総合ランキングが出されます。
女性指標と子ども指標の上位ランキング、各指標の詳細はこちらをご覧ください。
http://www.savechildren.or.jp/news/press/press2011_0503.html

(c)Save the Children Japan


たくや






2011年5月7日土曜日

おむつ会社の快進撃!!

赤ちゃんのおむつや整理用品で有名な「ユニチャーム(日本)」が、インドネシアに設立した現地法人の「P.T.ユニ・チャーム」が、たった10年で、紙おむつのシェア50%、整理用品のシェア40%を獲得し、かなり好調らしいです。




とく驚いたのが、ユニチャームインドネシアの宮林社長は、整理用品についての市場調査をするのに公衆便所を2000箇所まわって、使用済みの生理用品を片っぱしからチェックしたとのこと。

変体!! も度を越えれば、尊敬するしかありません。 てゆうか変体目的でやってないんですけどね。

インドネシアなどでは、綿棒もバンドエイドも、シャンプーでさえ一回分ずつ売っているのが普通で、市場がまったく違うけど、2億3千万(インドネシア人口)の人々がひとつ1~5円の物を週一で買えば、月商4億になるわけです。

それにイスラム圏では血液をそのまま捨てるのが、あまり良いことではないらしく、今でも90%以上の人がそれを守っているらしく、インドネシアの生理用品は水で流しても破れにくい素材になっているらしい。
色々と研究した結果、売れたんだなーと思いました。


そんで、それを調べるうちのもうひとう興味深い事実を知りました。

「ユニリーバ(蘭・英)」のインドの子会社ヒンドゥスタンリーバは、企業の社会的責任(CSR)に深くリンクした事業展開をしているとのこと。

その内容は
インドの多くの村では水道がないところが多く、まずインドの主婦達に水の濾過装置を提供する。濾過した水を使うことによって、感染症などを防ぐことができる。そして、濾過した水なら洗顔や洗髪も快適になる。合わせてシャンプーや石鹸などを販売し、使ってもらえればありがたみが分かる。 それを主婦にとなり近所に口コミさせる。
これで、宣伝から販売まで、すべて主婦が動いてくれるマーケティングを確立した。

頭良すぎだと思いました。一種のネットワークビジネスだけど「どう口コミさせるか」ってゆう部分が、とても革新的だと思いました。 そして社会貢献もばっちりしているし。 客から見たらまさに優良企業の看板がつく。

そのうちインド行きたいなーと思ってたので、行った時には気にして見てみようと思いました。(公衆便所2000箇所はやりません!)


たくや







2011年5月5日木曜日

「お金の流れが変わった!」ってゆう本

を読みました。 


著者は世界的に有名な 大前研一 さんです。 




ちょっと写真ふるい(若い)


ウィキってみると「日本の経営コンサルタント」って書いてあるけど、まーそんな枠じゃまったく収まらない感じの経歴の方です。


内容はこんな感じです。



  1. 第1章 超大国「G2」の黄昏
    アメリカ―「唯一の大国」はいかにして崩壊したのか
    中国―バブル崩壊はいつやってくるか
  2. 第2章 お金の流れが変わった!
    「ホームレス・マネー」に翻弄される世界
    EU―帝国拡大から防衛へのシナリオ
    新興国―二十一世紀の世界経済の寵児
  3. 第3章 二十一世紀の新パラダイムと日本
    マクロ経済政策はもう効かない
    市場が日本を見限る日
  4. 第4章 新興国市場とホームレス・マネー活用戦略
    新興国で成功するための発想
    日本経済再成長の処方箋





世界には4000兆円の「ホームレスマネー」が存在する。 それは世界中で投資先を探しながらさまよい続ける不要不急で無責任きわまりないお金のこと。 世界的に高齢化とモノのあまりが進み、需要が低調でお金がモノに転換されなくなったために発生したお金。ウォール街のわずか600人ほどのファンドマネージャーが管理しているらしい。 これを日本にどのように呼び込むか? 
でもまーお金はお金だけど、呼び込めたとしてもかなり危ない金だってことは間違いなさそうです。


失われた20年。これは1990年から今現在までを指してるんですが、景気の上昇がバブルと共にストップして、経済が動いていない状態だったここ20年のことを指してます。
でもこの20年の間に個人金融資産は1400兆円まで膨れ上がっている。日本は900兆円の借金があるけども、実際にその国債を買っているのはほとんど日本人。
なので、もし本当に日本がやばくなったら「徳政令」で借金を踏み倒しても、損するのは日本国民だけっていう「奥の手」が存在する。


そう考えると、ここまで安定してる国はない。円が今のところ強いのもそのため。
生活にしても安くていいものが簡単に手に入る。そういうものを提供する、マクドナルド、ユニクロ、しまむら、ニトリなどは皆好調。逆に凋落著しいのは、虚飾に満ちた高級ブランド
価値にふさわしいものはちゃんと売れてるんだから、日本経済は極めて正常である


毎年40万人働く人が減っていく、この日本でGDPが上がっていったら、それこそ奇跡。


デフレで物価が下がり、お金を使わなくてもそれなりの生活ができる。 もし日本に経済の再活性化をさせたいのなら、国民にお金を使わせる気を起こすしかない。いったんその気になれば雪崩のように一斉にその方向に向かって進むだろう。それが日本人の国民性だ。


現時点で世界に進出すべき、日本最強のビジネスモデルを持ってるのは「JR東日本」鉄道は儲からないと言う世界のジンクスを壊した。 駅上から駅中まですべての場所での電子マネーでの収益化に成功している。未来型のビジネス。




などなど。


確かに、車の買い替えも今まで、6~7年で買い換えてたのが、8~9年乗り続けるようになったりしてるってのはあるけども、それで困っている人はほとんどいない。


前に自分の ブログで書いた けど、「ぜいたく品消費ランキング」で未だに世界1位だけど、そーゆう流れが収まってきただけなのかもって思ったりもしました。


国内での低所得者などの位置づけがあっても、それは世界的に見て食べ物なくて死ぬ!!みたいな「絶対的な貧乏」じゃなくて、日本国内の平均レベルから見た「相対的な貧乏」てことには間違いない。


この本は2010の12月に発売された本で、大前氏は今回の震災による原発問題でもけっこうメディアに出ていたけど、原子力工学の博士課程を出ていることもあって、原発は日本が技術を持ってるんだから、日本では首都近郊にも原発を作り、安全性を強調して、世界に売り込め的な内容も書いてありました。 




またなんか参考になる本読んだら、乗せまーす。




  たくや









2011年5月1日日曜日

被災地行ってきました

29日の 激しい一日 の予定をクリアして、一人パーティを抜け出し東京駅から夜行バスに乗りました。

朝6時に福島駅に到着して、福島で教員をしている叔父の車に乗り被災地へ。

今回は他県から来られる支援団体の先遣隊に対して、叔父が現場を案内するということで無理を言って、一緒に同行させてもらいました。

自衛隊の車と何台すれ違ったか分からない、自分の友達も南相馬で活動している。



最初に行った成瀬第二中学校の裏側。校舎の裏側はかろうじて木が倒れずに残っている。


なんだかよく分からない、とりあえず悲惨すぎる


卒業式を終えた午後に起こった地震、今も紅白の幕がそのまま。

どっから入ってきたか分からないけど、全長10メートルくらいの大木が体育館の中に…


指定非難所は避難所の意味をなさなかった。

日本の国旗を見ると津波の水位が分かる…。手前にいるのは自分。叔父が撮影。


浜一小。 これもなんだか分からない、説明できないけど、すごい。


なんだか分からない、ぐっちゃぐちゃ

瓦礫を米軍が片付けたら、こんな床が顔を出した。 残念ながらスケートパークではないです(不謹慎)。


その小学校の裏の民家。 
地震がおさまって、家に戻った。 片付けをしようとしたら、消防団か役所の方が外で大声で叫んでいるのを聞いて、海側を見ると、向こうの方で木とか民家が動き出したり、倒れたりするのが見えて、その直後に黒い塊が見えた。 終わったと思ったけど、その時に非難する車が前を通りがかって、それに乗せてもらって逃げれた。  と、おばあちゃんのが方言マックスで語ってくれた。

自分達が去るときも、涙を浮かべながら「本当に支援してくださる方々の気持ちがありがたい」と言いながら、ずーっと、見えなくなるまで頭を下げ続けていたのが印象的だった。自分も深くおじぎしながら涙をこらえた。

途中で寄った避難所。ステージの上にあるのは、全部各地から届いた支援物資。 どう見ても過剰供給状態になっているように見えるが、実際はどうなんだろう…


なんしろ瓦礫の量が異常。 どー処理するか、どー運ぶか?この問題も実はかなり難題。 ここから消えても、どこかには運ぶしかない。 本当に想像を絶する瓦礫と泥の量だった。


遺体があるかもしれない現場では瓦礫の撤去などは行えないので、未だに手付かず。自衛隊の方々が雨の中をひたすら人海戦術で地道に捜索している。

一番多くの生徒が亡くなった、大川小周辺。 ここは河口から4キロ離れている。



この写真の先に海があるらしいが、まったく見えない。 

てか車が鼻かんだ後のティッシュみたいに転がってる。。。


大川小は、生徒60名ほどと、教員10名が亡くなった。叔父の友達も二人亡くなった。


左のコンクリートが大川小、津波の情報を聞き先生方の判断で、先に見える鉄橋まで生徒と非難してる途中で流された。 この建物の奥に山があって、保護者の方々は「なぜ山を登らせなかったのか」との批判が出ているが、その山を見たけど、ほとんど崖だった。

自分が先生でもあの崖に全校生徒を登らせようとは判断できないと思うけど、でも保護者の方々からすればそーゆう気持ちになるのも当たり前だろう。

そして、この写真ではちょうど切れてるけど、あの先の鉄橋の右側3分の1くらいは、すっぽり流されてなくなっている。 そんでもって、その鉄骨の一部は川上に100メートルくらい流されている、川上にね。 





雄勝町。 バス on the 公民館。 不思議。 津波の威力って不思議。


雄勝町は、すずりの全国シェアの90%を誇る伝統ある町。 ちなみにすずりとは、習字で墨をシコシコやる時の受け皿の部分のこと。

もう完全に更地になっていた。ひとつの町はたった2~3時間で更地になった。


そして、海は一体どこ? リアス式海岸は津波を抑えてくれるのかな、なんて思ったりもしたが逆だった。 山間部の谷間の部分では津波はパワーを増すとのこと。 ビル風と一緒の原理だと思う。


これは石巻だっけ?女川だっけ? すいません。ちょっと忘れてしまいました。 津波被害が酷ければ酷いほど、光景が一緒になってくる。。。 更地に瓦礫みたいな状態が、ずーっと続く。


海が見えないが、船は見える。


海が見えない。。。


コテージではない。流された民家が海に浮かぶ。


道路の損壊によって、孤立していた地区も自衛隊などによって、一通りは通れるようになった。でも
女川に向かう途中の山間部は、またいつ崩れてもおかしくない部分がたくさんあった。ヒビ割れた傾いた道路の上を通るたびにひやひやした。

車がないと生活できない場所なだけあって、今中古車が飛ぶように売れているとのこと。 


こんな写真はすでに、ニュースなどで見まくっているんだろうけども一応は載せてみました。 
今回の行ったことで色々な状況が掴めました。

とりあえずこのGW中はかなり多くの人々がボランティアに向かっているのは確かです。
途中のサービスエリアにはボランティアツアーの方々がびっくりするくらいいました。あの時見ただけでも150~200人くらいはいたと思います。  

実際に瓦礫撤去や泥の撤去などに要する人員と時間は、相当必要だと思います。 ですが、その人員を適所に送るためのコーディネーターが圧倒的に足りてないようです。 NPO団体などがやっているケースもありますが、それ以外は被災地の方々が中心になっているケースが多く、その方々はまったく休めていないとのこと。

もちろん現場を見ることによって、沸いてくる同情心などは、事態の風化を防ぐためにも本当に大事なことだと思いますが、現場の方々からすれば「ありがた迷惑」になっているケースも既に発生しているようです。

物資にしても、人員にしても、復興支援サイトやtwitterなどのソーシャルネットで呼びかければ一瞬で集まり、むしろ過剰供給になっているようです。

実際に、自分が行った時も、ある県の少年少女合唱団の代表者達が来られて「被災者を勇気付けるために、合唱団のコンサートを被災地でセッティングしたい」との内容や、ある県の小学校教員の方が「被災地の生徒さん達と心の交流するために文通を」などの提案を持って来ていましたが、

現場の教員の方々は「本当に嬉しいのですが、そのような話しは全国から来ていて、対応しきれない」とのことでした。  物資に関しても「何がほしい」とネットで呼びかければすぐに集まるとのこと。

全国の人々が何かしたい気持ちに駆られていることは、被災地の方々は重々承知してます。そしてその気持ちに対する達成感が一番強いのは「被災地へボランティアに行く」ことになりがちで、そしてそれは支援者側の自己満足であることも事実です。
(自分にもそんな思いありました)

でも現地の需要を超えたら、その善意はむしろ「迷惑」な方向に向かってしまうことがあることを、もう一回冷静に考えないといけないと思いました。

実際、こうゆうことを書いても「そんなこと分かってるし」って思う方々もいるかもしれませんが、自分ももちろんながら、こんなような懸念は行く前からありました。 でも念を押して言うべきことだなと思ったので、書きました。

ボランティア行かなくていいから被災地の旅館に泊まる、東北のものを買う、ボランティアに来ない変わりにその交通費分の10分の1でも募金する。 もっとマクロに言えば、とりあえず貯金は後回しで金を使って遊べ!!みたいなのも、有用な復興支援の形だと思いました。

なんかこの流れで書いてしまうと、ボランティアで被災地行くな!みたいな方向に思われるかもしれませんが、それは違います。ボランティア方々がやることは無限にあります、実際に山間部の小さな集落みたいなところ手つかずのままでした。

しかし、使えない車も撤去するには本人の承諾だ必要だとか、遺体が埋まってるかもしれない場所は瓦礫の撤去作業ができないとか、色々な条件があり、一気にボランティアが来ても、あまってしまう可能性があるってことを、現場の方に変わって言わなければいけないと思いました。

本当に必要なボランティア支援は、これから長期的に続くことは間違いありません。 そして同行してくださった先生方も、若者には特に、一度この現状を見に来てほしいと言っていました。

渋谷などでは震災直後は、5メートルに1団体くらいに募金活動の団体がいました。 いまではあまり見ません。 「民衆」っていうものはそんなもんです(もちろん自分も含め)。 ですが本当に大事なことは長ーく、一見では見えなくなった時くらいがスタートだったりするもんなんだと、改めて実感しました。


たくや