2012年7月15日日曜日

命がけのゴミ拾い//

腰まで水につかり、川に浮かんだごみの中から売れそうなものを探す少年=パキスタン・ラワルピンディで、小川昌宏撮影


どす黒い川に腰までつかり、少年がごみをかき分けていた。パキスタン・ラワルピンディのスラム地区。下水道はなく、異臭が鼻をつく。子どもたちは水面を覆うごみの中からかき集めたペットボトルなどを売って現金を得ているが、溺れる子が後を絶たない。ごみ集めも命がけだ。
 スラムに住むサジッド・ハン君(17)は昨夏、川で溺れているアフガニスタン難民の男の子を助けた。前夜からの雨で通常1メートル程 の水位は3メートルを超え川沿いの道路に迫っていた。通りかかった別の少年が偶然、川で浮き沈みする子に気付いて川に入り、ハン君が土手に引き上げた。男 の子は水を飲んでいたが、無事だった。
 ハン君が必死だったのには訳がある。3年前にも同じ場所で溺れている子を引き上げたが、その後、息を引き取った。ハン君は「今回は本当に良かっ た」と振り返ったが、危険な状態は今も変わっていない。おびただしい量のごみは雨が降るとさらに増え、川は子どもたちの格好の"仕事場"となる。土手でご みを拾っていたアザムグル君(18)は「子どもたちは何も恐れず川に入ってしまう。水面との境は見えにくく、土手から誤って転落する子も多い」と話す。
カラチ
近くに住むサフダール・フセインさん(33)もこの2年間で、アフガン難民の少年が流される場に2度居合わせた。助けようとしたがかなわず、15歳と8歳の少年の遺体は下流で見つかったという。
 毎年、この国で何人の子どもたちが川で命を落とすのか、確かな数字はない。「子どもたちは常に危険と隣り合わせ。ごみなど拾わなくても、普通に暮らせる社会になればいいが……」。フセインさんは川を見つめ、そうつぶやいた。
 UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)イスラマバード事務所のドゥニヤ・アスラム・カーン広報官は「溺れる心配はもちろん、子どもたちが医療廃 棄物に触れてHIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染する危険性もある。事態は深刻だ」と指摘する。【文・堀江拓哉、写真・小川昌宏】



http://113.34.94.19/osaka_shakaijigyo/main_enterprise/world_child/2012/2012_child_3.html

teru



2012年7月8日日曜日

日本は「国富」で世界一?


なんだかおもしろい統計が国連の機関から出ました。 ブータンって国の国王が唱えて世界的に重要視される指標になった「国民幸福度=GNH」とか前に記事にしましたが、これはまた新しい言葉ですね 
          「国富」
いや、言葉自体はよく聞くよ、そーじゃなくて数字にして、ランキングに出したってのが初めてなんだと思う。 だって国富って意味は分かるけど、漠然としすぎてしぼれてないもんね。
その統計で、日本が1位なんだって!

GDP=国内総生産ならよく耳にするけれど、Inclusive Wealth=国富というのは今回初めて耳にした。
GDPが国のフローを示す損益計算書にあたるなら、Inclusive Wealthは国のストックを示すバランスシートにあたるらしい。このたび国連の一機関であるIHDP (International Human Dimensions Programme) が、初めて20カ国のInclusive Wealthを算出してレポートにした。その抜粋がエコノミスト誌に載っていたので、ここで紹介。
国富は、天然資産(土地、森林、天然資源など)、人的資産(教育レベル、スキル)、そして「生産された」あるいは物理的資産(機械、建物、インフラなど)の三つの種類から構成される。このレポートが調査した20カ国の中で、国民一人当たりの国富が最高だったのは....日本。天然資産は全体の1%しかないが、人的資産はどこよりも高いとの結果だった。
日本が世界一の統計って、ここしばらく見たことがなかったので、これは一つ憶えておく価値があるかも。
この統計のように、今までは明確に数値化されなかったものが、これからは比較可能になってくる。国民一人当たりの幸せ度なども、いろいろな形で数値化されていくだろうか。
20120630_fnc496

とりあえずあまりハッピーな話が無い中で、プラス的に1位なんだから素直に喜びましょう!なんかあんまよくわからない内容かもしれませんが笑。
少し前には食文化では日本が世界一っていうのもあったし、世界の都市の観光地でも一位だったと思います。  まだまだ日本は捨てたもんじゃない!
若い皆さんで、これからの日本を盛り上げていきたいもんですね。
たくそん


2012年6月21日木曜日

渡辺謙 ダボス会議スピーチ全文

最初に「ダボス会議」とは??

世界経済フォーラム(せかいけいざいフォーラム、World Economic Forum)は、スイスに本部を置く非営利財団である。1971年にスイスの経済学者クラウス・シュワブにより設立された。
スイスダボスで開催される年次総会が特によく知られており、選ばれた知識人ジャーナリスト、トップ経営者や国際的な政治指導者が一堂に会し、健康環境等を含めた世界が直面する重大な問題について議論する場となっている。(WIKIPEDIAより)
ちなみに、日本からはTURRY`s coffee japan 創業者で現みんなの党の松田公太氏や、経済学者で大臣の経歴もある竹中平蔵氏、あとはライフネット生命副社長の岩瀬大輔氏などが常連で呼ばれてるようですね。(とりま英語が達者じゃないと行けないんだわww)



(以下読売新聞より)


初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。
 まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。皆さんからの力を私たちの勇気に変えて前に進んで行こうと思っています。
 私はさまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍たち。さらには近代の軍人や一般の町人たちも。その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。役を作るために日本の歴史を学ぶことで、さまざまなことを知りました。ただ、時にはインカ帝国の最後の皇帝アタワルパと言う役もありましたが…。
 その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。19世紀末の日本。そう、映画「ラストサムライ」の時代です。260年という長きにわたって国を閉じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。そのころの日本は貧しかった。封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在しませんでした。人々は圧政や貧困に苦しみ生きていた。私は教科書でそう教わりました。
 しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが書いた文章にはこう書いてあります。人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。しかし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしている。世界中でこんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。
 それから日本にはさまざまなことが起こりました。長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から新しい日本を築く時代に移りました。
 私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川で遊ぶ暮らしでした。冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あまり、社会は激変しました。携帯電話、インターネット、本当に子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。物質的な豊かさは飽和状態になって来ました。文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。
 そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしまいました。電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。そこに何が残っていたか。何も持たない人間でした。しかし人が人を救い、支え、寄り添う行為がありました。それはどんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。それは私たちが持っていた「絆」という文化だったのです。
 「絆」、漢字では半分の糸と書きます。半分の糸がどこかの誰かとつながっているという意味です。困っている人がいれば助ける。おなかがすいている人がいれば分け合う。人として当たり前の行為です。そこにはそれまでの歴史や国境すら存在しませんでした。多くの外国から支援者がやって来てくれました。絆は世界ともつながっていたのです。人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったのです。
 いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。
 国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。しかし度を超えた成長は無理を呼びます。日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。
 私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今までと違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。そしてこの「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。


脱原発、原発容認など、いろいろと意見はあると思うけども、まーそれはとりあえず置いておいて、自分がこのスピーチから皆に気づいてもらいたいなって思うことは、日本人は「人を思いやる気持ち」が本当に強い民族なんだってことです。
実際に「おもいやり」って単語が他の言語にはあまりないようです。 とあるテレビ番組で、日本に住む外人さん達が、日本語から母国語にほしいものは?ってアンケートで「おもいやり」って言葉がたくさん上がっていたのを微かに覚えてる。
ちなみに、「おもいやり」を英語で調べると「consideration」とか「 thoughtful」とかて出てくるけど、どっちも「考える」がベースになった単語だし、 おもいやりって「考える」から来る言葉なのかって言われると「…?」って感じがしませんか?(個人論ですが。。。)
そーゆうのをちゃんと意識するようになったのは、自分の場合は藤原正彦氏の「国家の品格」を読んでからですね。そしてもちろん異国に出て、日本を客観視できるようになってから。 これからグローバル化になってく中で、世界で活躍する人は是非とも「日本人のアイデンティティ」ってなんなんだろな??ってとこを意識して、動いていくべきなんじゃないかと思いました。

ちゅーことで、寝ます。 おやす~
たくそん

2012年6月18日月曜日

シリアの今後に注目

チュニジアのジャスミン革命を発端に、エジプトやリビアなどで大規模な革命が飛び火しました。

リビアのカッダーフィ大佐が革命軍に拘束され、その場で死んだときの写真や映像は衝撃でした。詳しい話は個人で調べてもらったとして。。。

その飛び火から、現在はシリアが本当にぐっちゃぐちゃになってて、アサド政権の政府軍と反政府軍の内戦が繰り広げられていて、毎日何十名もの死者報告をニュースで見てると、なんだか落ち着かない気分になってしまうわけです。

んでもって、アラブの中でもエジプトにつぐ軍事大国で、経済は米国の経済制裁とかで低迷していて、失業率は20%を超えるようです。(日本は5%くらい。ま日本と比べるのもどーかと思うけど)

別に独裁してても、国が発展していく中でなら、民衆もあんまり不満を出さないんだろうけど、シリアはそうじゃなく経済は低迷し続けている。

そんな中でのジャスミン革命で、シリアも打倒アサド政権を唱える人々が増えて、今みたいになっちゃったんだろうと思います。

シリアの内紛が激化してきているので、国連が介入する話が動きだしてるようです。もちろん軍事的な介入も有り得るわけです。
アサドさんは、カッダーフィさんみたいになっちゃうんでしょうか??



みんながなんとも思わず生きてる最中も、鉄砲で人が人を殺し合ってる状況って、自分たち(日本)のような生活をしてる人からすると不思議。。。


でもこれがまさにリアルなんですね。 でも日本だって経済が低迷したりして、犯罪が増えたりしたら鉄砲で脅されて、財布取られるような国になるかもしれないです。


お金がある国だから平和なんです。だって警察にお給料払えるから。自衛隊に給料払えるから。生活弱者にお金あげれるから。 

ちゅーことで、自分はいつも言ってますが、「平和・安全・安心」は無料じゃないよってことですね。


最後に。。。 今シリアのアサド政権が、雇ってると言われる傭兵軍団「ステロイドゴースト」の写真を見ながらお別れしましょう。







               ばけもの。





日本って平和ですね。  それではおやすみ~。




2012年6月5日火曜日

日本人は既に魚食から肉食民族へ

肉と魚どっち派??

なんつって、昔はなんの話題もないときの穴埋めワードとして使ってたような気がしますけどww。

実際はどっち派ですか? 
まー完全に魚メインの食生活してる人の方が少ないんじゃないかと思います。

おもろい統計発見しました。

どうやら日本人は2004年の6月から魚食民族から、肉食民族に変わったようですね。




魚の脂ってのは不飽和脂肪酸と言って、人間がつくりだすことができないけど、身体の形成にあたってかなーり重要な脂質なんですね。 だから必須脂肪酸なんて呼ばれてます。

肉からだとこの脂肪酸はあまり摂取できないみたいです。
脳機能の活発化とか、コレステロールを下げる役割もあったりするとのことです。

きになった人は勝手に調べてください!ww

この話から繋げたい一つの日本の問題として漁業の問題があります!
これ本当に大事な問題なんで、この記事をヒマは方だけでも見ていただけたらと思います!

平均年収260万から”儲かる漁業”への転換を実現せよ―勝川俊雄氏が語る”日本漁業復活の方程式




シーマンもなんか言いたそうな顔してるけど、そこはシカトで。。。

なんともなく食べてる食事や生活も、ここまで便利になった裏には確実になんかしらの問題があることを一人一人が忘れないで、生きないといけないと自分は思います。

安心、安全、便利とかって言葉の裏には絶対になんかしらのリスクが伴っていることを人は忘れてはいけないんだと思うっす。 あなたが気付かないし、気づこうともしないだけで、そこには多大なリスクが発生してるんですね。 それを意識できる人間が少しでも増えていかないと、地球なんてもんはもうそんなに長くないんだろなって思います。

ファッション、音楽、ライフスタイル、アートとかね。超かっこいいと思うし、憧れはありますけどね。、今後はこうゆう社会的な事象をリアルにキャッチできる人の方が100倍かっこいい時代になっていくんだと個人的には思いますね~。



たくそん


2012年5月20日日曜日

5万4千円でアジアを横断できる!?

『5万4千円でアジア大横断』 下川 裕治



私が、アジアを横断したきかっけ、それがこれ!
いつか、世界一周したいなと思っていたけれど、お金がまだまだ足りないな・・・
と思っていた時この本を見つけた。
5万4千円なら私でも十分行けるではないか!!
しかし、どうゆうルートで、移動手段で、どのくらい過酷なのか読んで見なければ分からない。
早速拝見・・・フムフム。

福岡から韓国は釜山にフェリーで渡り、そこからアジアを渡り、アジア最果てイスタンブールまで。
気になる移動手段はもちろん、一番安いバス!アジアンハイウェイを東から西へ。
そして、ほぼバスで移動し続ける。余計な観光などは無しでひたすら、イスタンブールを目指すのべ27日間車中15泊の激安珍道中!

これはたぶん約10年前の2005年の旅の記録。
値段もいろいろ変わっているし、今は入るのが難しい国もある。(パキスタン、イラン)

そして私はせっかく行くのだから観光もしたいし、遊びたいし、美味しいもの食べたいし、そして近くまで来たのだからお隣の国にも行ってみよう!な~んてやっていたら、0が一つ増えてしまった・・・
同じ博多スタート、イスタンブールゴール、でも期間は3ヶ月。飛行機も電車も使ったし、期間も3倍だし。でも、それでも3ヶ月フラフラ好きなことして50万なら安いじゃない!

旅は、安く行こうと思えば安くいけるし、お金を使って行こうと思えばいくらでもゴージャスな旅が出来る。それは自分次第!!

さあ、みんな自分流の旅に出よう☆

ぜひ参考にこの本を。役立ちます。


きょん

2012年5月19日土曜日

シンガポール

サウジに続き、シンガポールを紹介。
日本も絡んでるから、一応どんな国か紹介させて頂きます。

下記引用>>

シンガポールは別名「ガーデンシティ」と呼ばれるとおり、緑豊かで色とりどりの花が街中に咲いている清潔で近代的な国です。約430万の人口のうち4分の3以上が華人で、マレー系やインド系も混じる複合多民族国家でもあります。こうした民族固有の文化に加え、旧宗主国のイギリス文化も交じり合い、この国独特の文化を形成しています。日本の淡路島ほどの小さな国ですが、ショッピングやグルメ、観光スポットがとても充実しているモダンで洒落た国です。 それでは、シンガポールをご案内致します。

シンガポールは、14世紀頃にはスマトラ島のシュリーヴィジャヤ王国の勢力下にあり、トゥマシクと言う名の港町でした。シュリヴィジャヤ王国が凋落した後には、ジャワのマジャパヒト王国の影響下に置かれ、15世紀にシンガプーラ(ライオンの村)という現在の名前の基となった町名に改められました。16世紀には、マレー半島最南端のジョホールのスルタンが支配下に治めていましたが、交通の要衝としての港に目をつけたイギリスのトーマス・ラッフルズが、19世紀始めに本格的な港を建設しました。
(↑ラッフルズホテルのシンガポールスリングはここからです)
そのすぐ後には周辺のマラッカやペナンと共に植民地としてイギリスの支配下になり、それ以後、東南アジアの貿易の要衝港として、またイギリスの東南アジアにおける植民地支配の拠点としても大発展してきたのです。1941年、太平洋戦争が始まると、シンガポールの地理的要因から東南アジア侵攻拠点として位置づけた日本軍は、イギリス軍を破りシンガポールを軍政下におきます。そのときから戦争が終わるまでは、シンガポールは「昭南島」と名付けられ、「昭南特別市」という行政区域となって日本軍人が初代市長になったのです。
1945年に戦争が終わり、日本の敗戦でイギリスの支配下に戻りますが、マラヤ連邦が独立した後に、1963年にマレーシアの一地域として編入されました。ところが、当時のマレーシアはマレー人優遇政策であったため、住民の大半が華人のシンガポールではその政策は受け入れがたく、1965年に連邦から追い出されるようにして分離、独立を果たしたのです。初代首相に就任したリー・クアンユーは、独裁的な体制で通商都市国家の建設を目指し、国際的なハブ空港の建設、関税廃止、などで通商体制を飛躍的に発展させ、続いて教育レベルの向上や、マナーやモラルの強制的な政策を敷いて、国際的にも先端的なクリーン国家が誕生したのです。

シンガポールは、イギリスの植民地から日本の統治下を経た後にマレーシアに併合され、近年になって独立した都市国家です。そのため多民族の多様な文化を持つ国家で、民族間を越えて国家統一のため様々な独自の法律があります。国家発展のため男女を問わず労働に従事していたことから、外食文化がとても発達した国でもあります。また、赤道直下にあるため一年中が夏の気候で、気温も平均27度ある南国ですがスコールの後には涼しくなります

ちなみにシンガポールの国家はマレー語になります。

以上

LOVE & SMILE = PEACE
Tinta